ダンスとアート

ここでは、
子供達にとってのダンススクール(HIPHOP)を一先ず、絵画教室に例えると分かり易いかと思います。
裾野の広がりに伴いヒップホップダンスの分野でも多くのスタジオがレッスン=振り落しとなってしまっている昨今ですが、
例えば、絵画教室で構図から絵の具の色まで先生の指示通りにひたすら描いた作品は一見上手くは見える筈ですが、それはその子の創作では無く従順な“作業”の結果という事にはならないでしょうか?
又、ほとんどの皆さんが画を観る際に技術的評価などしない筈で、何かしら琴線に触れる的な直感で好き嫌いの判断を下しているのでは?
自身が感じたものを自由に表現する為に必要なのが技術であって、それだけあっても殆ど意味を成さないのは絵画もダンスも同じですし、万人ウケを狙ったものは必然的に薄まってしまうのも一緒です。
数あるダンスの中でもHIPHOPはとりわけ個性を重んじるダンスです。子供達個々の感覚やその奥にあるマインドをダンスとして表現する為、特に小さい子のクラスでは発表時以外、振りで固めてしまう事の無い様に努めています。

ナチュラル

見た動きを論理的に整理出来て、具体的には振り覚えが早い→ダンスが上手い、という認識になってしまいがちです。子供は従順ですので必死で振付けを覚えようとしますから、結果一心不乱に頑張っているレッスン風景が出来上がり、保護者ウケが良いのも理解出来ます。しかし子供達にとって大切なのは、単なる動きのコピーに終わらず自らの創造力をもってどこまでダンスを掘り下げるか、という点にある筈です。

やってみると分かりますが子供達は皆、周りを気にせず自由に踊る事が自然に出来てしまいます。外から見て無茶苦茶な動きでもおそらく本人は気持ちいい筈で、そこを尊重してあげればどんな子でも必ず上達しますので、指導側は画一的な情報を注ぎ込んで伸びしろを削ぐ様な行為は慎むべきです。
同じ事が大人のクラスで中々難しいのは、既に社会性が身に付いてしまっている事から、周りの目を気にするあまり失敗を避けようと自らブレーキを踏んでしまうからで、小さいうちからダンスを習うメリットは、よく言われる覚えが早いから等という単なる時間的なものよりも、こちらの点にあるのではないでしょうか?
もう一つ、
特にHIPHOPダンスには様々なスタイルが存在し、更にとても早いサイクルで流行が移り変わりますので、現在主流だからといってひたすらルーティーンで覚えてしまうと→数年後には全く使えない…という事になったりします。従って対子供のスキル面では特に、今後どの様なスタイルの波が訪れても対応出来得るだけの基礎・応用力を中心に指導する様心がけています。

プリミティブ


HIPHOPダンス本来の面白さや価値を求める場合、皆同じ服を着て同じダンスを踊る、”和”を尊ぶ日本古来のダンスとは(※それらを否定するものではありません)その視点、軸足が根本的に違うものだという事を先ずはご理解頂ければと思います。少々辛めの評価ですが、同じルーツを持つJAZZプレイヤーに即興演奏が出来ない者が居ない様に、即興・フリースタイルで踊れないのならHIPHOPダンサーとは言えません。
(どんなに優れたダンサーでも、直感で捻り出したダンスがハマるかどうかは半分博打の様なもので、結果的に恐ろしく格好悪いダンスを披露する羽目になる事も少なくないのですが、そうしたリスクを飲み込む勇気が進化の種だと思います)
極力シンプルに定義付けさせて頂くならばHIPHOPダンスとは、

1.形よりもビート(リズム)に特化したダンスであり
2.音楽に対する瞬発力(即興性)を備えているもの
という風に、既存のダンスよりも原始的なベクトルで形作られているので、ダンスに纏わりよく言われる感情表現や物語性などよりも、より動物的な”触感”に近い感覚が最も大切だったりします。
前出と重複しますがこの点でも、大人<子供となる事がご推察頂けるのではと思います。

見えない違い

冒頭より抽象的な表現に終始していますので具体的な指導の土台部分を少しだけ。
極めてシンプルですが、普通の人は日常ほとんど意識していない背中・足首を積極的に使う様に促すと経験上
上達が早いと思います。

上記は見た目に現れ難いので、Netの映像から拾ったりは出来ませんから誰かが教えてあげない限り気付かない筈ですし、同じ振付けを踊っているのに格好良く見える子は何かが違う筈なんだけど、それが判別出来ないというよくあるパターンでは、こうした身体の使い方が一つの要因になっている事が多く、例えばオールドスクールのPOPIN’などはその典型例です。
逆説的に→手振りなどは限られたレッスン時間を割いて教えなくても自然と身につきますし、最も個性の現れる部位の一つなので此方からは必要以上に触らない(例え客観的に格好悪く見えても本人が気付くまでガマンする)様にしています。
但しそれらを言葉で伝えるのではなく(そもそも複合的な動きを伝えるのに言葉では長くややこしくなるだけで非効率です)、対子供のレッスン全般に言えることですが、そうせざるを得ないダンス的状況を創り出してあげるのがポイントです。

チームダンス

発表の際に必須のチームルーティーンですが、短期的な結果のみを求めるのであれば、本人の趣向や特性に目をつぶって一律に訓練・統率してしまえば上手に見せるのは然程難しい作業ではありませんし、振付けにしても流行りの楽曲にYOU TUBEから拾って来た様な動きのパッチワークで良いのであれば、極端な話誰にでも出来てしまう訳です。
但し、
上記の“作業”で作られたマスプロダクションなダンスは観る人(※身内以外の)に感情移入してもらえないので「上手いね〜」といった冷静な(主に技術面の)評価に留まる筈です。

対して、
レッスン毎に自分のダンスを仲間に認めてもらう為、それぞれに試行錯誤を繰り返す事で→ダンス的相互理解・リスペクトを伴ったライバル意識が育まれ→出来上がったチームカラーがより生きる楽曲・振付けを得ると→指先まで揃っているという様な物理的な次元を超えた一体感が生まれ→音楽と共に圧力をもって迫って来る様な説得力のあるSHOW CASEが実現する。
というのが理想、
本物のチームダンスは個性のせめぎ合いから生まれるもので、観る人の評価もこうなると「上手いね〜」では無く「凄〜い!」になると思います。
こうした理想を追うには、僕ら指導側からの一方通行では無く講師⇄生徒・生徒⇄生徒の多角的な取り組みが必須で、もちろん手間も時間も掛かりますが本来ダンスとはそうしたものの筈です。

最後に

例えばある子が友達から「ダンスやってるんでしょ?踊って見せてよ〜」とリクエストされる良くあるパターンを想定した時に→習った振付けを連発して、“一所懸命習ってるんだな〜”と思われるよりも、その場の空気に合わせて即興で踊ってあげれば、少なくともその子の背後に先生の姿は想像出来ないでしょうし、上手くハマれば生まれつき踊れたかの様に感じさせる事も出来る筈です。
そしてその後の会話も、
前者の場合は、上手いとか格好いいとか面白いとかの、子供らしい単純な表現・評価を経たのちに「それは何というダンスなの?」とか、「どこで?どの位やってるの?」とかのダンスを取り巻く情報や環境の話題になりそうですが、
後者の場合は上記と同じ単純な表現でも、それはその子自身やその子の内面を指す言葉・評価になり、その後に続く会話もダンスの話ではないかもしれませんが、その子に対する興味から発想されるものなっていくと思います。
ダンス=自己表現とはそういう事だと考えていて、私達はまだ障壁の少ない子供のうちに、自然にそれを体現出来る様になって欲しいと思っています。

又、当校Kid’sクラスでは、
よく見るお揃いのスタジオTシャツ等を敢えて作りませんが、
それが同調圧力になったり、
不要な帰属意識を持ってしまったり、
協調性と靠れ合いの混同を避ける為、という思いがあります。
※僕にはアレが、どうしても24時間TVに見えてしまうというのも+されてますが…(汗)

長野ダンスユニオン 代表 飯田 昌芳